フィルム
カメラの時代にはそれほど指摘されなかった
事だが、デジタル
カメラの時代になってやたらとw
意識されるのがラチチュード、
白飛び、
黒潰れ現象
に対する耐性である。
それも、やたらとフィルム(ポジやネガ)に対して・・・
という記述が多い。これは、技術的側面として、
フィルムに対するある種のコンプレックスがあるのだろう。
しかし、よくよく考えてみて欲しい。フィルム時代でも、
飛ぶところは飛んでいたし、潰れるところは潰れていた。
その上で、それをうまく取り込んだ表現こそが
写真表現
というものではなかっただろうか。
確かに、一見飛び潰れ気味の画像でも、等倍などで
よく見てみると、階調が残っている・・・というのは、
スペック性能的に高性能であると言うのはよくわかる話だ。
S5proも、それがひとつのウリだし。
しかし、だからと言って、それが絶対の正義w、
絶対的な優劣を決める要素にはなりえないだろう。
もちろん、デジタル的な高性能は追求して然るべきだと思う。
しかし、それを見て感じるのは、あくまでも根本的な
部分がアナログな、”人間”、人の感覚なのだ。
デジタルと言うものは、あくまでもアナログな人間が、
アナログ的に求めた、簡単に明確化出来る表現方法の
一つに過ぎないのだ。
私はソフト開発を生業としてきた。だから、尚の事よくわかる。
この世が0と1だけで表現できれば、どれだけ楽だろうかと。
白飛びや
黒潰れにしても、例えば、太陽の光や、
夕暮れの美しい光を背景に、シルエットになっているもの、
それは、シルエットだからこそ美しいのであって、
そこに階調が残っていたからといって、
何かプラスになるのだろうか?
頭で、「これは今までの
デジカメに比べて○○的な
表現に優れている。だからいいものなのだ」とか、
「この絵画や
写真は、(○○という巨匠が創り出した
ものである・・・という前提があって)○○の表現が
絶妙で、見る人の心にダイレクトに問いかけてくるのだ・・・」
等と言う胡散臭いw補完知識がないと、いい創作物であると
感じられないというのは、実際には、その創作物を
素晴らしいと感じていないのと同じなのである。
むしろ、その創作者に対する侮辱、冒涜かもしれない。
普段の実用的、現実的な生活ではスペック的な要素を
追求するのは人間の性だろう。そして、それは普段の生活を
よりよくするためのひとつの方法として
有効だというのもよくわかる。
なにより、私自身がそういうタイプの人間なのでw。
しかし、根本的な部分、気持ちや心に作用するモノに対しては、
自己防衛本能からくる、他人に説明できうるような、
目に見えるようなスペック的な安心ではなく、
自分だけが大切に持っていられるダイレクトな感覚、
感想、気持ちで接してもいいのではないだろうか。
その時感じた感覚と言うものは、別に他人に
見られるわけでもないんだしw
「なんとなくいい・・・」人の感覚、感じ方、気持ち
というものは、結局は、ここに行き着くのではないだろうか。
・・・ということで、無茶苦茶飛んでますw
まあ実際は、そのあたりは自分の中にある葛藤
と言うかコンプレックスなのだがw
結局、デジタル的なスペックに拠る部分も、
それによって感じる満足感はアナログ的なものですからなw
テーマ : デジタル一眼レフ - ジャンル : 写真
タグ : S5Pro デジカメ カメラ 一眼レフ 白飛 黒潰 写真
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